2010年8月12日木曜日

AhaanChao2(アハーン・チャオ:朝食2)

EnglishBreakFastの問題点は、新鮮な野菜が無いことである。
タイの飯も意外と新鮮な野菜は少なく、タイ人はフルーツかナームプリックという生の野菜に臭い物をつけて食べてビタミン補給をしている。
心はファラン化したタイ人でも、体は日本人の血が流れている。
生野菜が食いたい。

そこで見つけたのが、Pattaya市内のHotelの朝食である。
外来でも100Baht前後で朝食Buffet食べれるHotelが数件ある。
コーヒー、紅茶、いろんな種類のジュース、サラダ、洋食、中華、タイメシ、デザート
何を食べても、いくら食べても100baht前後である。

それを見つけてからは、週末の昼はHotelのBreakFastに行くことが多い。

現在の時点で3件見つけたが、
(1)PattayaCentralで海に向かい2ndRoadにぶつかる50mくらい手前の左側にあるホテル。
   クーラーが効いている場所とPoolサイド2ヶ所で食べれる。
   レストランのつくりの雰囲気は一番良いが、味はいまいち(コーヒーはOK)、客層がArab
   東欧が多いので人間的な雰囲気が暗い。  
   店員はいい感じ。

(2)LekHotel
   Poolサイドの屋根のあるOpenダイニングとPool脇で食事ができる。
   味はまーまー。マカロニサラダが美味い。
   客層は英語圏のFarangが大半なので、雰囲気は悪くない。遅めに行くと無くなった料理
   が補充されないので注意。
   Pool脇ではタバコが吸えるが屋根が無いので直射日光を浴びて自分がBBQになるので
   注意。

(3)ApexHotel
   コロニアルな雰囲気の屋内ダイニングとPool(めちゃ小さい)サイドのOpenテラスで食事
   ができる。
   味は、かなりGood。というか、500Baht級のBuffetの味である。タイ人向けの洋食味付
   けではなく、ファラン向けの味付けなので、甘くないし、マジに美味い。
   スパゲティー、トマトスープ、チャーハン、野菜炒め、カスタードプディング、コーヒー、何
   をとっても文句なしである。コールスローサラダ、
   デザートのプディングとフルーツポンチは桁違いに美味い。
   客層は英語圏のFarangが大半なので、雰囲気は悪くない。料理はじゃんじゃん
   補充される。

   今のところこの3件がお勧めである。
   但し一番目は雰囲気がいいだけとサラダのドレッシングが美味いだけ。
   どこも朝から13:00までやってるので、昼飯として食うのにいいであろう。
   もちろん私は昼近くにいつも行っている。
  

AhaanChao(アハーン・チャオ:朝食)

私は洋食が好きである。それとコーヒー。
日本にいても米よりパンを好んで食べるし、バターくさい物を好んで食べる。
平日は時間の関係で、タイ飯を食するのが大半であるが、その分週末は洋食を食べる。
と言ってもステーキやスパゲティーとかはあんまりおいしいものが無いので(性格には旨い物もあるがいい値段するし、それだけでは飽きる)、ブレックファーストを休日は食べに行く。
この周辺はEnglandの本拠地なので、EnglishBreakFastを出してくれる店が大半である。
コンチネンタルBFはコーヒー、ジュース、パン、程度なので物足りない。
アメリカンBFはこれに卵とベーコンかハムがつく。
イングリッシュBFはさらにソーセージ、煮豆、焼きトマト、マッシュルームソテー等がつきゴージャスである。場所によってはコーンフレークまで付いてくる。
めちゃくちゃなボリュームである。さすが家庭内食文化のイギリスだなと感心する。
この村ではこのイングリッシュBFが100Baht(270円)程度で食べれる。
しかし、私は朝食は食べない生活である。
それでも、BFが食べれるのは、この村のBFはAll Day BreakFastと呼ばれ、一日中BFが食べれるのである。
よって、夜22:00くらいに夕飯を食べに出かけ「EnglishBreakFast、コーヒーで!!」てなオーダーができちゃうのである。
朝飯を食わないBreakFast好きにはもってこいの場所である。

2010年7月18日日曜日

Chua Khon Yipun Dee Khwaa(チュア・コン・イープン・ディー・クワー:日本人を信じた方がいいな)

 先日BangkokからPattayaへのバスの中で、隣に粋の良いファランのお兄ちゃんが座っていた。
 バスに乗るなり、隣のお姉さんににじり寄って(2人は他人同士)、がんがん話しかけていたので、自分なりのパターンマッチング的にすぐにイタリア系だと分かった。

 眠かったので寝ようとしていたら、彼が私に話しかけてきた。
発音聞いてやっぱイタリア人だと確信した。
彼は初めてのPattayaらしく、どこに何があるか分からない。
どこに行けば楽しめるか教えてくれとのことだった。
とりあえず、初心者が来てすぐ楽しめそうな場所を教えてあげて、そのあと世間話を1時間くらいして、最後にそこの場所への行き方を説明した。と言っても「このバス終点で降りて、そこにソンテウ(トラックを改造した乗り合いバス)にのれば30Bahtでいける」程度である。

 その後私は寝てしまったのだが、終点で気が付くと彼は後ろの席に移動して、タイ人と話をしていたようである。
終点で降りると、彼も一緒に話をしていたタイ人とバスを降りてきた。
タイ人はオートバイタクシーでその場所まで行かせようとしたみたい、オートバイのに所に彼を連れて行った。
しかし、彼はそのタイ人を振り切り、私のところに来て「どのソンテウに乗ればいいか教えてくれ」とイタリア人独特の心配な時の心細い目で私にすがった。
問題ないので、乗り合いソンテウに案内し、値段の確認と、彼をXXXXで降ろしてくれと運転手に頼み、彼をソンテウに乗せた。彼は本当に安心しきった目つきで、私に「グラッチェ」と手を振ってくれた。

なぜタイ人が3倍も掛かり、荷物を山ほど持った彼にすわり心地の悪いオートバイタクシーを薦めたかは不明だが、イタリア人の若者はこの数日でタイ人特有の間違った方向の親切に酷い目にあってきたのであろう。

日本人を信じた方がいいな。そう体が反応したのであろう。

2010年7月4日日曜日

7-11 Tee Singapore(7-11・ティー・シンガポール:シンガポールの7-11)

 少し時間が戻ってしまうが、5月にビジネスビサ取得のために、シンガポールに3日ほど滞在した。
日本とタイでは7-11のポジションは殆ど同じと思ってよい。
つまり殆ど定価で売っていて、24時間便利に使えて、ATMもある便利なところである。
日本では定価と言う言葉を使うがPattayaでは定価のことを7価格と呼んでいる。
つまり、安定した価格なのである。日本と同じである。(勿論たまに安売り品もある)

シンガポ-ルでコーラを買おうと思い、7-11に入った。缶コーラに2$位の値段が付いていた。120円くらいである。日本と同じ価格である。他の物もみんなやけに高い。
あれれ、4年ぶりにシンガポール来たけどこんなに物価上がったの?
7-11を定価の指標と思っている私には7-11のコーラの値段でその国の物価を図る癖が付いている。
なんか急に白けてしまい、コーラは買わずに店を出てしまった。

 どうしても納得がいかず、近くのISETANデパートの中の食品売り場に行ってみた。
コーラが1$位(60円)の値段で売っている。ものすごく納得がいく。シンガポールの物価はそんなところのはずである。
他の物も普通にみんな安い。

思い起こすと、シンガポールで何箇所か7-11を覗いたが、どの店も全然客が居ない。
これで納得である。シンガポールの7-11はシンガポール経済と何のリンクも取っていないかなり駄目な組織のようである。
しかし、なんでこんなこと本部が許してるのか見当が付かない。
本部がこんな事許すはずはないと思うのであるが。

それとも実は私が見たのは7-11ではなくて7-ll(セブンーエルエル)だったのかな?

ミステリアス・シンガポールである

Mai Pliean Loko Dee(マイ・プリィアン・ロコ・ディー:変わらないから良い)

ここの村に尋ねてきてくれる人の多くが、ここを大変好きになってくれる。
特に数日過ごした人は、リピートしてくれる人が大変多い。

ふと昨日その理由をオートバイを運転中に気が付いたので、忘れないうちに書き下ろしておこう。

マイミクのアルカスさん夫妻が昨年1週間くらい遊びに来てくれて、私の家で一緒に過ごした。
また、タイバカのLogでも紹介したAlさんも奥さんと子供を連れて毎日のようにこの村を訪ねてくれた。
それにBangkokでは連日ディスコ狂いの26歳のタイ人の妹もPattayaに来るとこの村を出ない。

2人の奥さん+妹の意見がまるっきり同じなので、私は以前びっくりしたことがある。
3人ともこの村が懐かしさを持っていてとても居心地が良いと言う。

オートバイで野菜やアイスクリームを売りに来たり、バーミー(タイラーメン)や物干し竿も売りに来る。それぞれに決まり文句やテーマソングがあるので、なれると何を売りに来たのか声を聞くだけで解る。

お互いの国(日本と韓国とタイ)は違っても、同じ懐かしさを(経験)をここの村で共有できている。
逆に言うと、日本も韓国もBangkokも昔はこの状況が存在していたが、今はこの状況が無くなってしまっていると言う事である。そしてその状況が良かったということである。
だから懐かしいと言う言葉が繰り返されるわけである。

じゃー、日本も韓国もBangkokも変わってしまったのに、なんでここは変わらないのかと言うのがいつも頭の片隅に有った事である。昨日夕方の薄暗い中、オートバイを運転中に、前のバイクが赤色等もブレーキランプも電気と言う電気が全て壊れていて、その存在に気が付かず、危うくカマを掘りそうになった。後ろに座っていた彼女に「何で電気壊れてるのに直さないんだろう?危ないよな」と問いかけたところ「古いからしょうがないでしょ」とカウンターを返された。
日本では古いからと言う理由で公道を走る交通機関の整備不良は絶対に許されないのであるが、ここは違うと言うのである。ボロボロの車が走っていることは昔から知っていたが(誰でも知ってる)、なんでそれを代えないかということを深く考えたことが無かった。
単にお金が無いだけとしか理解していなかったのである。
でもそれだけの理由ではないことに気が付いた。
古いものはその機能の一部を失うが、使える機能があるうちは使い続けることが前提なのである。
つまり、古いからとか不便だからと言う理由で、ここでは物が代わる事は無いのである。
物はかならず古くなっていく、古くなれば一部の機能が失われることもある、でもそんなことは当たり前なんだから、気にすることないし、古くなったものを否定する理由は何処にも無いでしょう。という意味が「古いからしょうがないでしょ」と言う言葉の中に凝縮されていた気がする。
もっと解釈すると、事実が絶対と言うことである。

よって、懐かしいものが今でもいっぱいここには残っているのであろう。

アルカスさんの奥さん、ALの奥さん、この「懐かしさ」に関する考察はどうでしょうね?

Ko Khon Isaan glap khon Rusia(コ・コンイサーン・ガップ・コン・ルシア:イサーン人とロシア人だから)

 バスの通勤でBangkok往復を繰り返していて、新しいパターンを発見した。
Pattaya、<->Bangkok間の高速バスは全指定なのであるが、必ず誰かの席に別の人が座っていて、揉めている。毎回揉めている。
チケットにはちゃんと自分の座席番号が書いてあるにもかかわらず揉めている。
 他人の席に好き勝手に座っている駄目な奴は100%イサーン人かロシア人(東欧含む)である。
座席指定だと気が付かないで座っているのであれば、同情の余地は十分あるのであるが、彼らは指定先だとちゃんと知っていて、本来の自分の席もちゃんとチェックしてある。
揉めて係員が来ると、彼らはこれまた100%直ぐに自分の本来の席に直行するのである。
 ちょっと考えれば直ぐ解ることだと思う。勝手に座っても指定先なんだから、直ぐに移動させられると言うことを。
それでも勝手に座ってる。イサーン人はタイの中でも最も先を考えられない人種であることは8年位前から見抜いていたが、ロシア人もそうだとは思いもしなかった。しかし事実は事実である。
結局イサーンとロシアはあんまり先のこと考えない人種仲間ということで自分は整理した。
イーサンとロシアが同じパターンとは驚きであった。

2010年6月6日日曜日

Baa Muan Thai(バー・ムアンタイ:タイバカ)

私の周りに私を含め4人の日本人のタイバカがいる。
残念なことに私以外は3名とも日本在住である。
それでも年に何度も仕事を無理やり調整して来るわけであるから、バカと言ってよいであろう。
というか、タイバカである。
それでも、年に何度も訪タイしてくるタイ好きの日本人は多い。
じゃー、何が違うのかである。
(1)Pdai
 彼との付き合いは12年を越す、そして私のタイの歴史と彼のタイの歴史はほぼ時間的にイコールである。一緒にタイ語学校も通った。
現在彼は日本に滞在中であるが、年に何度もそれも3日間だけみたいな感じでもタイに来てしまう。彼曰く「私はタイ人を尊敬している」だそうである。ここまでもまだ同じ人はいっぱいいるであろう。
そして彼の最大のタイバカな理由は、彼の夢である。
彼はJyakayan(自転車)が大好きである。日本でも週末の2日で800Kmとか走破するのである。昨年一番暑い時期にタイに来てBangkokからチャン島まで自転車で走破している。
もちろん途中で脱水症状に陥り、死に掛けてることは言うまでもない。
しかも彼の年齢は私と同じ50である。彼はタイ人から直ぐに愛され、尊敬されるタイプである。なぜなら彼の顔も肌の色もタイ人と同じであるからである。タイ人が見ても「タイ人でしょう」と言わせるくらいである。そして、読み書きもできる。でも問題は話はあまりできない。話すと直ぐにタイ人じゃない事はばれる。そこが愛されるところである。
そして彼の夢であるが、「再度自転車でタイに降り立ち、空港からまっすぐPattayaの私の村まで直行し、村にあるBarにボロボロの体を引きずって入って行き、何も言わず真っ直ぐジングルベルに向かい、その鐘を鳴らして、その場で気を失う。」だそうである。
タイ人からは間違いなく英雄の称号を与えられるだろ。しかし実際はただのバカなのである。

(ジングルベルとは、ThaiのBarには殆どカウンターの上にジングルベルが在り、客がそれを鳴らすと、その場に居るお客さん全員と店の従業員全員に奢ると言うルールである。)

(2)Masa
 年齢は一回り以上下なのであるが、若いながらに気合を入れて集中してタイに滞在する。
目的は彼にとって完璧な天使を探すことなのであろう。明るい部と暗い部の1日2部構成でBangkok、Pattayaで集中して探し物をしている。無駄金は使わない!!と言う感じである。
私から見れば「うわー、この子天使ジャン、もうこの子でGoalなんじゃないの?」と思っても
そこで断念は決してしない。120%を目指しているのである。
ここまでもまだ同じ人はいっぱいいるであろう。
問題はここからである。彼はこれだけの鉄の精神を持ちながらも、タイ人をものすごく理解し愛していると言っても良いであろう。
私の村では彼の目的を果たすことは不可能に近いのであるが、と言うか不可能である。
でも、私の妹の居る店に一緒に来てくれて、彼も本当に兄貴になったかのように私の妹を理解しかわいがってくれるのである。そして彼にとっては無駄な時間であろうとも、私や妹の遊びに付き合ってくれるのである。私への遠慮と言うわけではなく、それで幸せも感じてくれている。
普段の行動からは予想もつかない、真の優しさと、タイ人に対する敬愛がある人物である。
その優しさのため、私の知り合いのタイ人で彼を嫌うものは一人も居ない。いや、みんな彼を愛している。でも彼は天使を探す道を外れることはない。あーー、バカである。

(3)AL(アル)
 ALとはもう15年の付き合いになる、Pdai同様ダメダメ50歳トリオの中心的存在でもある。
彼も天使を探している。大きな病気になってしまったのであるが、昨年からタイ活動を見事に復帰させている。ここまでなら沢山見たことがある。問題は家族も一緒に連れてきておきながら、夜遊びに出る。ここまでも沢山居る。しかも夜遊びに出て家族の待つホテルには戻らず、Pdaiのアパートにず~~~~っと泊り込んで、朝帰りをしているのである。そして、家族を怒らせることも無く、家族サービスをこなせている。健全な肉体であれば可能かもしれないが、まるで健全な肉体ではない。
そして、彼のもっとも特異な点は、天使を探していることは間違いないのであるが、それを自分のものにしようと言う俗物ではない、目的は1点で「天使を自分の目で見てみたい」という壮大の夢の持ち主なのである。客観的に自分が天使と思えるということは、本当の天使を見つけると言うことに他ならない。でもきっと見つかるであろう。
タイには紛れもない天使がまだ存在しているはずであるから。
たったそれだけのことなのかもしれないが、それは人生の時間を全てそれに費やしていることに等しい。でも無ければ天使は見つからないのである。
彼がタイ人から愛される理由の最大点は、なんでも平気でタイ料理を出されるがままに「美味い!!」と言ってたいらげられるところであろう。
これはすごいことだと思う。できそうで意外とできないことである。というか在り得ない。
どう考えてもバカである。バカとしか形容できる言葉を私は知らない。

バー・ムアンタイと題したが、タイ的にはキー・ムアンタイの方が正解であろう。
自称タイバカは沢山居るし、タイ人の友達を持っている人も沢山居る。
私のタイバカの定義は一つである。「タイ人に愛されている」ここに尽きる。

2010年5月30日日曜日

NaamJai(ナームジャイ:人情)

Pattayaへ越してきて約1年になる。
SeaSideのPattayaと私の居るMountainSideのPattaya(EastPattaya)では同じFarangでも明らかに人種(Life Style)が違う。
南北に突き抜ける国道のSukhunvitを挟んで、東にあるEastPattayaに住んでいる人は、EastPattaya内での引越しはするが、Sukhumvitを超えての引越しは絶対に有り得ない。SeaSideのPattayaは1~3ヶ月の短期滞在者がリゾート気分で住んでいるので、タイに居る理由の温度が違うためだ。
ここEastPattayaの住民は、みんであれこれ協力し合って生きている。
昔の日本の「隣組」みたいな感じかもしれない。
私も運命共同体ということで、2つの隣組に参加している。
ここ数ヶ月は本当に色々お世話になった。
日本の親戚づきあいは、ここの運命共同体の協力体制から見たら、他人に等しい。
何でかな?と色々考えてみた。
でも分からない。
ある日運命共同体のなかで一番中の良いPhilipの妻のNutが

「貧乏という言葉はお金に関すことだけじゃない、人情に対しても貧乏かどうかという考え方も私にはあると思っている。
私はお金に貧乏になっても、人情は絶対に貧乏にならないから。」
Taa Pen Jon Sataan Tae Yangai Ko Mai Pen Jon Naam Jai
と話してくれた。

この言葉で、色んなことがクリアになった。
なんで自分がタイに居るかの最大の理由でもある。

私はこのNutのことを16歳も年下であるがMae(お母さん)と呼んでいる。
色んなことを教えてきてくれたからである。
又一つ人生で大事な言葉をいただいた。
50にしてまだまだ学ぶことは多いようだ。

I Love You Mae Nut.

2010年5月22日土曜日

MarenWaan(マレン・ワーン:蝿)

Charlieの誕生会は後半から趣向が変わってしまった。
England人10人日本人私一人と言う構成の誕生会であった。
やたらに蝿がテーブルにたかってきて、うっとうしくてビールも飲めない状況になってしまったためだ。
お約束どおり、短気なEngland人は怒り出し、全員が新聞紙を丸めてハエ叩きを手にした。
テーブルで羽を休める蝿を手当り次第たたき始めた。次から次へとテーブルの上には蝿の死骸が積もり始めた。
気がつくとみんな夢中で、子供のようにハエ叩きをしている。
そのうち勝手にKennyが司令官となって、皆に作戦の指示をしている。
「Hey Taroお前はJapaneseスナイパーだ、Samがはずして逃げる蝿を叩き落せ。」だそうだ。そのJapaneseスナイパーって一体何なんだ?
またまた気がつくとみんなハエを叩き落した後、数をカウントアップしている。何匹やっつけたか個人個人カウントしているのである。
Samが怒っている「Hey クリス、ここは俺のテリトリーだぞ、ここの蝿は俺に権利がある、ここの蝿に手を出すな!!」、「Ohhhh Taro NoNoNoNo、ここは俺のテーブルだ、まずは俺が仕掛ける、そこから逃げたやつを打ち落とす。それがスナイパーだ。100万%スナイパーに徹してくれなくては困るんだよな~~、しかもJapaneseスナイパーだろ」だそうである。やっぱり解らん。Japaneseスナイパーって何なんだよ? 司令官が怒鳴っている、「こらこら、みんな気を抜いてるわけじゃないだろうな?これは第3次世界大戦も同様なんだぞ!!生きるか死ぬかだ。自分のポジションは守り抜いてくれ!!」ってそんなオーバーなことでも。。。。。。
「おーい、皆、Weaponを置いて一旦休憩だ」と司令官のKenny、「Weaponって何だ?」、「こら、手に持ってる新聞紙に決まってるだろう。大事に扱わないと。唯一自分の命を守ってくれるものだろう」だそうだ。しかし、戦争なのか、これは。
一服終わった頃に司令官のKennyから、「Start Next Turn」の掛け声がかかり、又皆がばしばしばしばしやっっている。俺も休んで入られない。スナイパーである。
もう蝿は来なくなった。と言うか全滅したんだろう。
テーブルの上、テーブルの下は蝿の死骸でごったがいしている。
全員で勝利の雄叫びである。Weaponを高く持ち上げ、「We are Winner,We are Winner,We Did It,We Did It」と踊りながら叫びあってる。
Farangのパワーを垣間見た。
ちなみに平均年齢は58歳くらいである。
あの店にはもう蝿は寄りつかい。

Wan guud Charlie Brown(ワン・グウド チャーリーブラウン:チャーリーの誕生日)

Snoopyの主人公の一人Charlie Brownは一体いくつになるのだろう?
60近くになることは間違い。

以前マイミクのつきすそさんとSnoopyに関係するProjectを完成させたことがある。あの時何周年記念だったよう記憶があるだが、つきすそさんどうでしたっけ?

この村にもCharlie Brownが一人住んでいる。今日で75歳の誕生日を迎えた。先ほど誕生パーティーに行って来た。
顔は皺だらけであるが、まだまだ元気でVolkaをロックでガバガバ飲み、普段は村中を歩き回っている。彼の職業は新聞記者である。今でも BangkokPostに彼のコラム欄がある。
皆から慕われており、今日もパーティー中に彼がSpeachを始めると、おしゃべりなEngland人も口を閉じ彼の話に耳を傾けている。

決しておしゃべりではないし、ふんぞり返る性格でもない。とても質素な好感を持てる人格である。

私はCharlie Brownより25歳年下である。
偶然昨日マイミクになったStichさんも今日誕生日であった。年齢は25(26になったのかな?)Charlieより25歳年下が私である。その25歳年下がStichさんである。
私の半分の年齢、Charlieの1/3の年齢である。
未来豊かな若者に乾杯!!
そしてその若者の未来を築いてきたCharlie Brownに乾杯と言う感じである。

KheoFyu(ケーフュー:夜間外出禁止令解除)

今日の20:00前後にPattayaはCurfew(夜間外出禁止令)が解除されました。
よかった。心から、良かった。

2010年5月21日金曜日

Prachatiptai(プラチャティップタイ:民主主義)

ある在タイの欧米記者がこうコラムしていた
「タクシンはタイを民主主義国家にした、そしてタクシンはその国家を分裂させた。分裂したからこそ本当の民主主義なのだ」
振り返ってみれば、2008年末の現政府がタクシン追放をスローガンに空港を占拠した時も反政府に対してタクシン政権は武力威嚇はしたが、武力は行使しなかった。血は流れていない。
今回はどうだろう?100名もの命が失われ400名以上が負傷をしている。命を落とした政府軍は1名だけである。後はタクシン派と巻き沿いを食った一般市民と日本人やイタリア人の記者である。つまり管理し切れていない武力行使を行っているのである。キチガイに刃物の良い例である。
私の師匠でもある、PHiro氏はこう言い放った、「ミャンマやカンボジアと同じレベルに落ちたみたいね」。民主主義ではない国になったということであろう。
その通りである。
何度も繰り返して言っているようにデモが一旦終結しただけで、何もも解決していない。

民主主義国家を継続するのか、軍事政権に戻るのか。
ただ今はそれをタイ国民が選択できるポジションにまだいる。
選択の余地がある。つまり、分裂したからこそ本当の民主主義なのだ。

強く望むAll we are saying is give peace a chance

I Hope Long Live The His Majesty King Indeed And Democratic This Country

All The Best To My Kingdom Of Thailand

2010年5月20日木曜日

Mai Son Jai(マイ・ソン・ジャイ:興味無し)

文句ばかり言ってても歳をとるだけなので、今回の政治闘争についてみんなどう感じているか観察してみた。
在タイの日本人:私や知り合いは皆NewsなりInternetで逐次情報を収集している。
在日の日本人:私の友人は皆タイ好である、私たちと同じく情報収集している。
Bangkokに関係のあるFarang:危なくて仕事どころじゃない、家でのんびりしてる。
Bangkokと関係ないFarang:普段と何も変わらない。Beerを飲んでFuckingと口ずさんでいる。
自国に居るがタイと関係のあるFarang:どうなったどうなったとチャットが頻繁に入ってくる。
Bangkokに関係のあるタイ人:大変だ~~~、という感じ。
Bangkokと関係無いタイ人:Farangと同じ、全然無関心。何の情報も収集しない。ランドマークが焼け落ちたことすら知らない。能天気である。
ということで、Bangkokに関係の無い在タイFarngとBangkokと関係無いタイ人は同じ行動である。
興味無し!!!
個人主義ってこういうことなのかもしれない。
いやーー、そうじゃ無いでしょう~~
解らん~~~

Bua Buua Bua(ブア・ブーア・ブア:死ぬほど飽きた)

昨晩のCurfew(英語で夜間外出禁止令)に引き続き、今日も、明日も、明後日もCurfewが続くそうな。
後10分で外出禁止である。
仕事と終わって、やっと一息、飯食って、馴染みののBarBeerに行って友人たちとビリヤードするのが日課なのに、急いで飯食うだけで終わりである。
幼馴染で大親友のアルカスさんからもタイ政府以上の強さを持って「外出禁止」を食らってしまったので、部屋でおとなしくWebでも見るしかないのだが、そのWebも都市機能麻痺のお陰でやたら遅い。
長い間止まっていたPattayaの独り言でもまとめて書くしかないのかな?
あー、BuaBuuaBua。

What's the fucking

 CentralFestivalに映画を見に行った。残念ながらビルが17:00で閉館になってしまって入れない。2件目はAvenueの映画館に行った。ここも駄目である。閉館だ。
ここPattayaのあるChunburi県にも夜間外出禁止令が勧告され、それに伴いお店はみんな閉まってしまった。What can I do?
BangkokのランドマークでもあるCentralWorld(旧WorldTardeCenter)はタクシン派に焼き討ちにされ、大火事となり、もう直ぐビルごと倒れてしまうところである。
同じビルにある伊勢丹も焼き落ちてしまう。
私のタイの人生はこのCWの直ぐ近くにあるコンドミニアムから始まった。
そこで色々な経験を積みながら1年暮らした。
勝手に時代をもぎとられてしまったようで、非常にむしゃくしゃする。
Fuck Fuck Fuck!!!!

24:00過ぎに夜食を食べに行くため彼女とバイクに乗った。誰も歩いていない。
屋台も7-11も全部閉まってる。高台からPattayaの待ちを見下ろしても、いつものようなネオンの眩しさが無い。静まり返っている。
これって、本当に幸せなことなの?
だって、デモは強制撤去で昨日終結したんでしょう?頭が悪いよ今のの政治家は。
なんでその後に戒厳令を出すわけ?
意味不明だよ。こうなること最初から分かってるんじゃん、なんでそれを考慮して作戦立てないの?アメリカ政府なんかこの政府を完全におちょくってるジャン。

What's The Fucking!!!!!!

2010年5月19日水曜日

PaiDuuNanDeeKhwaa(パイ・ドゥ・ナン・ディー・クワー:映画見に行こうっと)

BangkokのOfficeはタイ政府の勧告で今週いっぱい閉鎖しなければならないので、Pattayaの自宅でJobである。やっと一区切りついたので映画でも見に行こうっと。
毎週水曜日は映画の日、通常120Bahtの観賞料が半額の60Bahtである。
見ない手は無い。日本円で180円くらいである。
最近見た洋画は IronMan2、Robin Hoodかな。日本はまだ未公開と思う。
デモの影響でPattayaもFarangがすっかり居なくなり、外人向けの場所にある映画館はガラガラ。
貸しきり状態で映画を見るのも悪くない。
ただしクーラーが必要以上に効いているので寒いのである。
女性は厚着を欠かせない。
今日は彼女が決める番なので、何の映画を見るかまだ分からないが、それはそれでサプライズパーティーのようで趣があって楽しい。
愚痴っぽい独り言を言わせてもらえば、何で2人の映画代が120Bahtなのに2人のコーラとポップコーンが150Bahtもするわけ?おかしいでしょう~~~。
Amazingはいつも付きまとう。

2010年5月18日火曜日

RakKhun(ラック・クン:I Love You)

私の50年の人生の中で「I Love You」は異性に対し又は家族に使う言葉と思ってきた。勝手にそう理解していた。
他の国は知らないのであるが、England人は同姓の親友に対しても I Love Youを使う。

Phillip:
 一番最初に私にI Love YouといってくれたEngland人である。
52-53歳で現役のエンジニアである。Bangkokの会社に勤めていて、週末にPattayaへ戻ってくる。エンジニアなのでとても癖のある性格をしている。
日本で言うところの「職人気質の頑固親父」である。私らの年代の親父はみんな頑固親父だったので、私は別に彼の頑固振りを見ても驚かないし、怒る事も無いのであるが、他のFarangやタイ人はそうはいかない。話し始めて30分でたいていの人は怒り始めて喧嘩となる始末である。
よって、彼の事を理解して話を聞いてあげれる人はPattayaでは彼のタイ人の妻と私ぐらいである。とても頭の良い人なので、相談に言って数こと話すだけで理解し助けられることは直ぐに助けてくれる。ただ歳のせいか、酔うと記憶を失うみたいで、乗っていった車をどこかに忘れてきてしまう有様だ。次の朝、彼の妻から電話があり、私はその車を探し、彼の家に届けるのである。
Give And Take成立である。

Kenny:
 私のDanceパートナー(パーティーで2人で倒れるまで踊り続ける)でもある彼は、特殊な技術を持った大工さんである。年齢は45歳くらいである。タイでは仕事はしておらず、年に数回Endlandに帰って仕事をして金を稼いでくる。タイ人の奥さんもいる。
残念なことに、上記Phillipとは犬猿の仲である。
骨を折って動けないときなど、夫婦で車で迎えに来て病院へ連れて行ってくれたり、食事を持ってきてくれたりする、心の温かい職人である。
大工さんだからコンピュータは苦手である。よって彼のコンピュータに問題があると私の出番である。
Give And Take成立である。

Terry:
 彼はEngland在住である、昨年末から今年の3月までここに滞在していて、毎日顔を合わせ話しているうちに大の親友となった。年齢は60近くである。
今はEndlandに帰ってしまったが、しょっちゅうChatやFaceBookで話している。
彼はもともと英国軍人で多くの人に銃弾を打ち込んできてしまったと自分で語ってくれた。そのトラウマが今でも残っていて、花火の音を聞いただけでも大砲の音に聞こえ、やりたくもない戦争に、英国政府の金とOilの為に人殺しをさせられたと悔やんでいる。
きっと一生忘れられないんだろうな。でもとても明るい、前向きな兄貴である。
England人の幼馴染の奥さんが居て、とても素敵な夫婦である。
今は、北部Englandで鶏の養殖をしていて、鶏売れたらEnglandに招待してくれるとのこと。
Not Give But Takeな状態。

Keith:
 彼は今住んでいるアパートの近くにあるBarのオナーである。EnglandでもClubを経営していて、Don't Worry About Moneyなひとである。年齢は53-4歳である。私のビリヤードの目標でもある。
以前彼のタイ人の嫁の従妹と付き合っていたことがあり、それで親しくなった。よって今でも彼の嫁のことは「姉貴」と呼んでいる。
今はその彼女とは別れてしまったが、Keithや彼の嫁とは今でも親しく付き合っていて、事ある毎に世話を焼いてくれる。
ただ最近彼と嫁は週に1回の割合で喧嘩をするが、理由は果てしなく幼稚である。
2人が喧嘩をすると姉貴からCallがあり、「Taro、むしゃくしゃするから今から遊びに行くんでBodyGurdに来て」とのことで、Pattayaの歓楽街を引き摺り廻されるのである。
Give And Take成立である。

なんの駆け引きもなく、なんでも相談でき、別れ際に抱きしめあい「I Love You」と挨拶できるPattayaの親友がこの4人のEngland人とその4人の嫁達である。

I Love You My Lovely Mates And All The Best

PenFarang(ペン・ファラン:白人になる)

このBlogの最初に、Pattayaで生きていくためにはFarangに成らなくてはいけない、と綴った。
Pattayaに移り住んで10ヶ月がたち、この村の多くのFarangと親しくなった。
又、なんでも話し合える親友と呼べるFarangも2-3名出来、お互いの能力を出し合い協力しながら生活する体制になってきた。
Farangの考え方も徐々に解ってきて、共鳴できる部分は自分もその考え方で物事判断するようになってきた。
合理的で、エンジニアの私には理解しやすい。
それでも、やはり日本人のDNAを持っているのであろう。日本人から見るとバター臭いCoolな人になったように思われるが、タイ人からはやっぱりアジア人に近い感性を持っているように見られる。タイ人的にFarangには絶対してはいけない相談事とかがあるのであるが(理解してもらえないので相談にならない)、私にはそれが回ってくる。
最近その数が増えてきている。
つまり、「Farangには理解してもらえないという事を知っている人」とタイ人は私のことを理解し始めてきたので、今の状態になってきたのであろう。
しかし、ちょっとはOKであるが、いっぱいは困る。
速く完全なFarangになって、そんな相談がこなくなる方が楽な気もするが、もしかしたらそれが私のここに住む理由なのかも知れない。
もう少し、Farangとタイ人の間に立つバター臭いアジア人Taroで居るしかない気がしている。

Sua Deen(スア・デーン:赤シャツ)

Bangkokの一部の地域では、ここ数ヶ月デモ隊が占拠し、平和維持軍とよばれる国軍と鍔迫り合いを繰り広げている。
このデモ隊は通称SuaDeen(UUD)と呼ばれ、前タクシン首相の親衛隊みたいなものである。
私設の軍隊があるようで、将軍とか名乗る人もこの中には居る。
暗殺って一体どういうこと?って感じである。
お互いに国のためと言ってはいるが、相変わらず嘘の下手な民族で、全然そんなことは考えておらず、自分達の私利私欲のために戦っているのは明白である。
Pattayaにいるあたしにゃあんまり影響が無いのであるが、OfficeはBangkokにあるため、BTS(電車)が止まることがしばしばあり、これには閉口する。
タイの国のことなので、外人のあたしにゃ何も言う権利は無いのであるが、一言だけ言わせてもらいことがある。
「お前ら、恥を知れ!!」
以上である。

2010年4月21日水曜日

PiiMaiThaiピー・マイ・タイ:タイの正月)

毎年4月13日がタイの新年である。祭り好きのタイ人なので1月1日の新年も勿論祝うが、あくまでもPiiMaiFarang(西洋の正月)の域にとどまり日本人のクリスマスと同じのりである。
1年の幸せを込めた楽しみ方ではなく、その瞬間だけの喜びにとどまる。
しかし4月13日のタイの新年は本正月だけあり国中が新しい年が幸せであるようにみんなで祝福しあう。
その祝福の祭りがSongKurang(ソンクラン)である。
この祭りは地域により日にちが異なる。北の方は4月9日頃から、中央は4月13日前後、ここPattayaは一番最後で4月19日である。
SongKurangは通称「水掛祭り」と呼ばれていて、タイで一番暑いこの4月にお互いに水を掛け合い暑さをしのぐのである。
しかし、SongKurangは水を掛け合うだけではなく、もう一つとても大切な行為がある。
通りかかる人全てに、水に溶かした白い粉を顔に塗りつけるのである。
その時にお互いに祝福の言葉を掛け合うのである。
これが「一年の幸せをこめた楽しみ」と言う私の表現の根拠である。
Bangkokは規制でSongKurangが本格的に楽しめないので、是非この時期にタイに訪れる機会があれば地方でSongKurangに参加して1年の幸せを祝福しあっていただければと思う。

Sawasdee Pii Mai Thai Krab