2010年7月18日日曜日

Chua Khon Yipun Dee Khwaa(チュア・コン・イープン・ディー・クワー:日本人を信じた方がいいな)

 先日BangkokからPattayaへのバスの中で、隣に粋の良いファランのお兄ちゃんが座っていた。
 バスに乗るなり、隣のお姉さんににじり寄って(2人は他人同士)、がんがん話しかけていたので、自分なりのパターンマッチング的にすぐにイタリア系だと分かった。

 眠かったので寝ようとしていたら、彼が私に話しかけてきた。
発音聞いてやっぱイタリア人だと確信した。
彼は初めてのPattayaらしく、どこに何があるか分からない。
どこに行けば楽しめるか教えてくれとのことだった。
とりあえず、初心者が来てすぐ楽しめそうな場所を教えてあげて、そのあと世間話を1時間くらいして、最後にそこの場所への行き方を説明した。と言っても「このバス終点で降りて、そこにソンテウ(トラックを改造した乗り合いバス)にのれば30Bahtでいける」程度である。

 その後私は寝てしまったのだが、終点で気が付くと彼は後ろの席に移動して、タイ人と話をしていたようである。
終点で降りると、彼も一緒に話をしていたタイ人とバスを降りてきた。
タイ人はオートバイタクシーでその場所まで行かせようとしたみたい、オートバイのに所に彼を連れて行った。
しかし、彼はそのタイ人を振り切り、私のところに来て「どのソンテウに乗ればいいか教えてくれ」とイタリア人独特の心配な時の心細い目で私にすがった。
問題ないので、乗り合いソンテウに案内し、値段の確認と、彼をXXXXで降ろしてくれと運転手に頼み、彼をソンテウに乗せた。彼は本当に安心しきった目つきで、私に「グラッチェ」と手を振ってくれた。

なぜタイ人が3倍も掛かり、荷物を山ほど持った彼にすわり心地の悪いオートバイタクシーを薦めたかは不明だが、イタリア人の若者はこの数日でタイ人特有の間違った方向の親切に酷い目にあってきたのであろう。

日本人を信じた方がいいな。そう体が反応したのであろう。

2010年7月4日日曜日

7-11 Tee Singapore(7-11・ティー・シンガポール:シンガポールの7-11)

 少し時間が戻ってしまうが、5月にビジネスビサ取得のために、シンガポールに3日ほど滞在した。
日本とタイでは7-11のポジションは殆ど同じと思ってよい。
つまり殆ど定価で売っていて、24時間便利に使えて、ATMもある便利なところである。
日本では定価と言う言葉を使うがPattayaでは定価のことを7価格と呼んでいる。
つまり、安定した価格なのである。日本と同じである。(勿論たまに安売り品もある)

シンガポ-ルでコーラを買おうと思い、7-11に入った。缶コーラに2$位の値段が付いていた。120円くらいである。日本と同じ価格である。他の物もみんなやけに高い。
あれれ、4年ぶりにシンガポール来たけどこんなに物価上がったの?
7-11を定価の指標と思っている私には7-11のコーラの値段でその国の物価を図る癖が付いている。
なんか急に白けてしまい、コーラは買わずに店を出てしまった。

 どうしても納得がいかず、近くのISETANデパートの中の食品売り場に行ってみた。
コーラが1$位(60円)の値段で売っている。ものすごく納得がいく。シンガポールの物価はそんなところのはずである。
他の物も普通にみんな安い。

思い起こすと、シンガポールで何箇所か7-11を覗いたが、どの店も全然客が居ない。
これで納得である。シンガポールの7-11はシンガポール経済と何のリンクも取っていないかなり駄目な組織のようである。
しかし、なんでこんなこと本部が許してるのか見当が付かない。
本部がこんな事許すはずはないと思うのであるが。

それとも実は私が見たのは7-11ではなくて7-ll(セブンーエルエル)だったのかな?

ミステリアス・シンガポールである

Mai Pliean Loko Dee(マイ・プリィアン・ロコ・ディー:変わらないから良い)

ここの村に尋ねてきてくれる人の多くが、ここを大変好きになってくれる。
特に数日過ごした人は、リピートしてくれる人が大変多い。

ふと昨日その理由をオートバイを運転中に気が付いたので、忘れないうちに書き下ろしておこう。

マイミクのアルカスさん夫妻が昨年1週間くらい遊びに来てくれて、私の家で一緒に過ごした。
また、タイバカのLogでも紹介したAlさんも奥さんと子供を連れて毎日のようにこの村を訪ねてくれた。
それにBangkokでは連日ディスコ狂いの26歳のタイ人の妹もPattayaに来るとこの村を出ない。

2人の奥さん+妹の意見がまるっきり同じなので、私は以前びっくりしたことがある。
3人ともこの村が懐かしさを持っていてとても居心地が良いと言う。

オートバイで野菜やアイスクリームを売りに来たり、バーミー(タイラーメン)や物干し竿も売りに来る。それぞれに決まり文句やテーマソングがあるので、なれると何を売りに来たのか声を聞くだけで解る。

お互いの国(日本と韓国とタイ)は違っても、同じ懐かしさを(経験)をここの村で共有できている。
逆に言うと、日本も韓国もBangkokも昔はこの状況が存在していたが、今はこの状況が無くなってしまっていると言う事である。そしてその状況が良かったということである。
だから懐かしいと言う言葉が繰り返されるわけである。

じゃー、日本も韓国もBangkokも変わってしまったのに、なんでここは変わらないのかと言うのがいつも頭の片隅に有った事である。昨日夕方の薄暗い中、オートバイを運転中に、前のバイクが赤色等もブレーキランプも電気と言う電気が全て壊れていて、その存在に気が付かず、危うくカマを掘りそうになった。後ろに座っていた彼女に「何で電気壊れてるのに直さないんだろう?危ないよな」と問いかけたところ「古いからしょうがないでしょ」とカウンターを返された。
日本では古いからと言う理由で公道を走る交通機関の整備不良は絶対に許されないのであるが、ここは違うと言うのである。ボロボロの車が走っていることは昔から知っていたが(誰でも知ってる)、なんでそれを代えないかということを深く考えたことが無かった。
単にお金が無いだけとしか理解していなかったのである。
でもそれだけの理由ではないことに気が付いた。
古いものはその機能の一部を失うが、使える機能があるうちは使い続けることが前提なのである。
つまり、古いからとか不便だからと言う理由で、ここでは物が代わる事は無いのである。
物はかならず古くなっていく、古くなれば一部の機能が失われることもある、でもそんなことは当たり前なんだから、気にすることないし、古くなったものを否定する理由は何処にも無いでしょう。という意味が「古いからしょうがないでしょ」と言う言葉の中に凝縮されていた気がする。
もっと解釈すると、事実が絶対と言うことである。

よって、懐かしいものが今でもいっぱいここには残っているのであろう。

アルカスさんの奥さん、ALの奥さん、この「懐かしさ」に関する考察はどうでしょうね?

Ko Khon Isaan glap khon Rusia(コ・コンイサーン・ガップ・コン・ルシア:イサーン人とロシア人だから)

 バスの通勤でBangkok往復を繰り返していて、新しいパターンを発見した。
Pattaya、<->Bangkok間の高速バスは全指定なのであるが、必ず誰かの席に別の人が座っていて、揉めている。毎回揉めている。
チケットにはちゃんと自分の座席番号が書いてあるにもかかわらず揉めている。
 他人の席に好き勝手に座っている駄目な奴は100%イサーン人かロシア人(東欧含む)である。
座席指定だと気が付かないで座っているのであれば、同情の余地は十分あるのであるが、彼らは指定先だとちゃんと知っていて、本来の自分の席もちゃんとチェックしてある。
揉めて係員が来ると、彼らはこれまた100%直ぐに自分の本来の席に直行するのである。
 ちょっと考えれば直ぐ解ることだと思う。勝手に座っても指定先なんだから、直ぐに移動させられると言うことを。
それでも勝手に座ってる。イサーン人はタイの中でも最も先を考えられない人種であることは8年位前から見抜いていたが、ロシア人もそうだとは思いもしなかった。しかし事実は事実である。
結局イサーンとロシアはあんまり先のこと考えない人種仲間ということで自分は整理した。
イーサンとロシアが同じパターンとは驚きであった。