2009年12月3日木曜日

Khon England(コン・イングランド:イングランド人)

ここEastPattayaに住むファランの70%以上はイギリス人でその大半がEngland人である。
若い人はほとんど居なく、大半がリタイアでPattayanaに住んでいる。つまり仕事はしていない。
先日友人のEngland人夫妻(と言っても60近くの大先輩)の家に招待されて、お邪魔してきた。
400m2の敷地に自動開閉の門、プール、プールハウス、ジム、5LDK、5バスルームという豪邸である。
長年働いて蓄えたEnglandの財産を全て売り払い、ここに家を買って(多分Endglandに持っていた家の何倍もの広さ)タイ人の嫁と2人でゆったり暮らしている。
仲良しなので、づけづけと毎月の生活費はどうしてるのか聞いてみた。
「あー、それは年金が出るからそれで生活している、イギリスは年金生活者の嫁にも国籍問わず年金が出るので、うちのタイ人の嫁にも年金が出ているんだ。でもそれは俺の毎日のビール代になってるけどね」だそうだ。
これで、大きな疑問が一つ解けた。なんでEngland人がやたらに多いかは、イギリスの年金制度が大きく影響していたのである。
日本ももっとがんばらないとね。
人生の意味をもう一度考え直す政治家が必要なんじゃないかな。

2009年12月2日水曜日

Maa Thai(マー・タイ:タイの犬)

はっぴー東京さんが犬と猫の日記を記していたので、それにコメントしようとしたら長くなったので、こちらの日記の記すことにした。

タイ人は仏教の教えに従い、生き物を大切にする。
よってタイの街中や食堂には沢山の犬が歩き回ったり、居眠りしていたりする。
この犬達けっして全てが野良犬ナわけではなく、飼い犬もいるのである。
野良と飼い犬の違いは以下の通りである。

野良犬
 毛並みがとても汚い
 不特定多数の人から餌をもらう
 帰る家が無い
飼い犬
 毛並みが野良より良い
 飼い主から餌をもらう
 飼い主のもとに帰る

だいたい、この程度の違いだ。

そして共通しているところは
 幸せそうに昼寝をしている
と言うところだろう。

野良犬は3タイプに分類できる
(1)普通の犬:食って寝るの繰り返し
(2)マフィア犬:縄張りの中に通りかかるオートバイに追っかけて脅かす
(3)賢い犬:お寺に住み付き、タンブーン(お布施)のおこぼれを食べている

いずれにしろ幸せ以外の何者でもない。

生まれ変わったらタイの野良犬が第一希望である。

DokMai Naa Naau(ドクマイ・ナー・ナーウ:寒い季節の花)

先々週から10日ほど肌寒い日がここPattayaでは続いた。
Bangkokは11月から1月中旬まで涼しい風が吹くとても良い季節であるが、ここPattayaは10日程度肌寒い日が続き、その後元の暑さに戻るようだ。
この寒い季節の間、Bangkokでは香った事の無い花の匂いをEastPattayaでは感じる事が出来た。
初めての香りなので、表現の方法が無いのだが、寒い季節の10日間はバイクで移動していると、どこからとも無くこの花の匂いが漂ってくる。
ちょうど日本の春の沈丁花と秋のキンモクセイが季節を感じさせてくれるのと同じ感じであった。
暑さが戻ったこの3日間はもうその花の香りは漂ってこない。
どの木のどんな花だかチェックする前に終わってしまった。
桜のようなキップの良さである。

来年もこの花の匂いを感じたいものだ。

2009年11月22日日曜日

Miya Farang(ミヤ ファラン:白人の嫁)

 Bangkokのファランの嫁とPattayaのファランの嫁は、まるでタイプが違う。
Bangkokのファランの嫁
(1)ともかく真っ黒
(2)後ろ姿のスタイルはとてもよい
(3)顔は原人系もしくは類人猿系もしくは我々と違うDNAを持った人
(4)平気で人に迷惑をかける(日本人の嫁も同じ傾向)
(5)体中に金をまとっている

Pattayaのファランの嫁
(1)程良い小麦色か黄色
(2)どこから見てもスタイルはとてもよい
(3)顔も日本人から見てもきれいな人が大半
(4)物事を知っていて、人に迷惑かけることはまるで無い
(5)質素である

想定
Bangkokに住むファランは自国企業に在籍していて、タイに3~5年の任期で駐在として来ている人が大半である。
よって、彼らの嫁の条件はBarBeer等のLadyと一定の期間だけ契約して、ともかう楽しく過ごせる相手であれば良いのであろう。当然期間契約なので籍を入れる人はほとんど居ない。
生活に必要な問題は会社が解決してくれるので、下手な知識は無い方が都合が良いのである。

Pattayaに居るファランは観光客か永住している人が大半である。
よって、生活のTakeCareが出来て(物事を知っている)生涯を一緒に暮らせることを条件に嫁を探す。もちろん籍も入れる。
その条件を満たす人を探す方法は、大半が知り合いの紹介である。
多くの嫁は、大学卒業をしていてそこそこの企業への就職経験があり、親戚がファランと結婚している、という感じである。

ただ上記の想定で、解決できないのは見かけの問題である。
その答えは、きっとハリウッドのスターは日本人が見てもきれいである。
ファランもやっぱ一生住む相手は日本人と同じ美的感覚のきれいな人を好むのであろう。

勝手な想定で申し訳ない

2009年11月20日金曜日

Lotus Lek Lek(ロータス・レックレック:ちっちゃいロータス)

今日は、この村にあるLotus Lek Lek(小さいロータス(LortusとはThaiに全土にある大きなスーパー。でもここのは小さめなのでLotus Lek Lekと呼ばれている。それでも、東京の標準サイズのスーパーより大きいくらい)で、ThaiのスパースターHyperのコンサートがあり、無料なので見に行った。見には行ったが、見る事は出来なかった。

FamilyBarの妹Noiの家に用事があり、昼間訪問した時に、妹Noiのパパとママと妹がいて、
Noiママから「Taro Sawasdee Ka 今日 Lotus Lek Lekの屋外広場 で Hyperのコンサートあるから行かないかい?」とお誘いがあり、「あー、Hyperは見たこと無いから行きたいな。何時からですか?」
「確か20:00からだったよ」とNoiパパが答えてくれた。「絶対そんな早い時間からあるわけない」と心の中でつぶやいたが、口に出してもしょうがないので、「解りました、じゃー20:00に会いましょう」と言う事で家を去った。妹Noiはその時間は仕事中なので行けないという事で、とても残念がっていた。

 20:00に現地行くと、大音響の音は聞こえるが、Hyperではない。多分前座だろうと思い中に入ったら、やはり前座が演奏していた。しかも誰もお客さんがいない。とりあえず一番前に陣取った。そして、前座のMCで私が朝心でつぶやいた事が正解だとわかった。
「今日は23:00よりHyperの演奏が。。。。」だそうだ。
 妹Noiのパパ、ママ、妹と私の友人夫妻は前座の演奏で楽しく踊っていたが、私はThaiの田舎の音楽にはほとんど興味が無い。とても23:00まで待つのが耐えられなく、22:00に用事があるからと、退散してきたしだいである。
 よって見には行ったが、見ることは出来なかったのである。

 Bangkok時代から変わらず、イーサン人には酷い目にあう。悪気が無いだけに怒りの矛先が無く、ストレスがたまる。
ここPattayaでもイサーン人との相性は変わらないようだ。

2009年11月17日火曜日

P'Sao & Family Bar(ピーサオ:姉貴)

 このEastPattayaの村で暮らし始めて、最初に訪れたBarがイングランド人を亭主に持つ53歳のアユタヤ出身のタイ人のPinさん(P’Sao「姉貴」)が経営するBarである。
従業員は姉貴の実の妹のJun(Nong Jum「妹Jum 48歳」)とNoi(Nong Noi「妹Noi 19歳」)の2名だけだ。
 初日この店に入ると、上記3人の女性が「何しに来たんだ」という目でじっと見つめている。
「すみません、ここに座っても良いですか?」
「あー、良いけど」
「TigerBeerもらえますか?」
「Beer飲むのかい?はいよ」
というとても客とは思えない立場から始まったのである。
20分くらい1人で座ってBeerを飲んで放置プレイされた後、姉貴が
「韓国人か?中国人か?」と初めて声をかけてくれた。
「日本人です。名前はTaro」
「ほー、日本人か。ここで日本人はあんたが始めてだ。ここに住んでるのか?」
「はい、ここに住んで1ヶ月目です。これからもよろしくお願いします」
そんなところから始まり、近辺のほとんどのBarは訪問したが、なんとなくこの店が落ち着くので毎日通うようになった。
1ヵ月後からはお互いの人生相談とかもするようになり、姉貴、Taro、妹2人のFamily関係が出来上がった。家族以上に何でも話し合える関係になっている。
P’Saoが店に下りてくるのはだいたい夕方4:00頃である(この辺のBarはみんな昼から営業している。)。それまでは妹Jumと妹Noiと姉貴の旦那のTonyの3人で店を回している。
P'Saoは16:0022:00位とそれ以降閉店する24:00とで人が変わる。酔っていない時は店の雰囲気が引き締まるほどきりっとした完璧な人であるが、酔ってしまうと、駄目駄目な人になってしまい、お客にも罵声を飛ばす有様だ。よって21:30過ぎはたいてい客はいない。
居ても初めての客か、姉貴よりもっと酔っ払ってる駄目駄目ファランだけである。

それでも、姉貴が、ここの常連客にも、初めての客にも「これは私の弟の日本人のTaroです」と紹介してくれるので、ここの客のファランとその妻達とも親しい友人になっている。
3日無断で店に行かないとその晩店が終わったあと、彼女ら3人でバイクに乗って私の家まで食事を持ってTakeCareしにきてくれる。
よって、このBarはFamily Barと呼んでいる。

2009年11月16日月曜日

P’Chai (ピーチャイ:兄貴)

私の向かいの家は Canada人のBobの家である。
この村でCanada人は私の知る限りBobだけで、タイ人の妻と2人で住んでいる。
年齢は53歳で、アメリカの退役軍人である。
戦争で人は殺したことがないとのこと。
夫婦共にとてつもなく心の広い人で、どこの馬の骨とも分からない私に対して、現在借りている家の保証人になってくれている。
 事あるごとにTakeCareをしてくれて、日本から私の友人が着たりするとBBQパーティーとかを開いたりしてくれるのである。
心の広さに比例するように、友人も大変多く連日いろんな人が訪ねてくる。
その友達とPattayaに遊びに出るときは、いつも私にも声をかけてくれて一緒にファランの遊びに連れ出してくれる。
ここPattayaで暮らす限り日本人スタイルは通用しなく、ファランにならなくてはならない。
彼との付き合いを通してかなりファランのスタイルをコピーさせてもらった。
よって私はPattayaでの人生の師匠という思いを込めて P'Chaiと呼んでいる。
やさしさと強さのバランス感覚が最高の人物であろう。

P・S
さすが牛を食う人たちだ、Pattaya遊びの締めはMega Mac しかも単品である。

2009年11月15日日曜日

Good Guys Go To Heaven Bad Guys Go To Pattaya



長い間お休みしていたBlogを復活させます。

病気入院を契機に、7年過ごしたBangkokからに今年の7月に白人(ファラン)の作った街Pattayaに引越ししました。

 40年前までPattayaは何も無いただの漁師の村だったのですが、ベトナム戦争の時にアメリカ軍が保養の地として静かな村をアジア最大の歓楽地に変身させてしまった奇跡の地です。
ここは法律的にも特別行政地区に指定されていて、通常のタイの法律が外人の為に変更されているので、Bangkokより外人が住むには優遇されていてかなり便利です。

Pattayaに住んでいる人以外には、タイ人にも外人にもほとんど知られていない事なのですがPattayaは大きく分けて2つの地域に分かれています。
一つは誰もが知る有名な海側のPattayaで、BarBeer、GoGoBarの群落とショッピングセンター、旅行者のためのホテルが無数に立ち並ぶCITYです。
もう一つが、国道を境に東の山側に広がる通称EastPattayaと呼ばれる地帯です。EastPattayaという通称は知っている人も居るのですが、実態を知っている人はここのResidenceで無いと知られていません。
ここは、Pattayaを永住の地に決めたファランが作り上げた巨大な(東西に10Km南北に10Km)ファランの住宅地域になっているのです。
住民の50%がファランでその大半がイングランド人という、さすが海賊の国は他の国に移住するのがうまいなと、思わせる勢力を見せ付けられます。
残りの50%はファランの嫁と、イスラムで構成されています。
PattayaのCityとは正反対で、静かで落ち着いた閑静な住宅街で、海までバイクで5分、東にある自然の中の大きな湖までも5分でいける素敵なLocationです。
村並みは東西に伸びる4本の通りに沿って並ぶ無数のビレッジで構成されていて、
通りは北から順に
Soi SiamCC
Soi NeanPabWan
Soi Kao Noi
Soi Kao Talo
という道の名前がつけられています。
私が現在住んでいるのは北から2番目のSoi NeanPabWanで、一番最初に作られたビレッジ群です。
通り沿いに無数の商店が並び、ヨーロピアンレストラン、パブ等もあり、物価はPattayaCityの
半分くらいの感覚で、洋食はBangkokやPattayaCityより何倍もおいしいです。
ここで生活に必要な大半がそろうので、PattayaCityにでる事も月に1-2度程度です。
 この10Km四方に住む日本人はわずか4名で、行動的に動き回ってるのは私だけなので、どこの店を訪ねても「日本人はTaroが初めてだ」ということで、現在EastPattayaでは日本人=Taroの方程式が成り立っています。
 4ヶ月のここでの生活で出来た友人も60%がファランで40%がタイ人と言う英語とタイ語が入り混じる生活環境になりました。
BnagkokやPattayaCityとはまるで違う生活がここにはあるので、これからその様子を紹介していく予定です。