2010年5月30日日曜日

NaamJai(ナームジャイ:人情)

Pattayaへ越してきて約1年になる。
SeaSideのPattayaと私の居るMountainSideのPattaya(EastPattaya)では同じFarangでも明らかに人種(Life Style)が違う。
南北に突き抜ける国道のSukhunvitを挟んで、東にあるEastPattayaに住んでいる人は、EastPattaya内での引越しはするが、Sukhumvitを超えての引越しは絶対に有り得ない。SeaSideのPattayaは1~3ヶ月の短期滞在者がリゾート気分で住んでいるので、タイに居る理由の温度が違うためだ。
ここEastPattayaの住民は、みんであれこれ協力し合って生きている。
昔の日本の「隣組」みたいな感じかもしれない。
私も運命共同体ということで、2つの隣組に参加している。
ここ数ヶ月は本当に色々お世話になった。
日本の親戚づきあいは、ここの運命共同体の協力体制から見たら、他人に等しい。
何でかな?と色々考えてみた。
でも分からない。
ある日運命共同体のなかで一番中の良いPhilipの妻のNutが

「貧乏という言葉はお金に関すことだけじゃない、人情に対しても貧乏かどうかという考え方も私にはあると思っている。
私はお金に貧乏になっても、人情は絶対に貧乏にならないから。」
Taa Pen Jon Sataan Tae Yangai Ko Mai Pen Jon Naam Jai
と話してくれた。

この言葉で、色んなことがクリアになった。
なんで自分がタイに居るかの最大の理由でもある。

私はこのNutのことを16歳も年下であるがMae(お母さん)と呼んでいる。
色んなことを教えてきてくれたからである。
又一つ人生で大事な言葉をいただいた。
50にしてまだまだ学ぶことは多いようだ。

I Love You Mae Nut.

2010年5月22日土曜日

MarenWaan(マレン・ワーン:蝿)

Charlieの誕生会は後半から趣向が変わってしまった。
England人10人日本人私一人と言う構成の誕生会であった。
やたらに蝿がテーブルにたかってきて、うっとうしくてビールも飲めない状況になってしまったためだ。
お約束どおり、短気なEngland人は怒り出し、全員が新聞紙を丸めてハエ叩きを手にした。
テーブルで羽を休める蝿を手当り次第たたき始めた。次から次へとテーブルの上には蝿の死骸が積もり始めた。
気がつくとみんな夢中で、子供のようにハエ叩きをしている。
そのうち勝手にKennyが司令官となって、皆に作戦の指示をしている。
「Hey Taroお前はJapaneseスナイパーだ、Samがはずして逃げる蝿を叩き落せ。」だそうだ。そのJapaneseスナイパーって一体何なんだ?
またまた気がつくとみんなハエを叩き落した後、数をカウントアップしている。何匹やっつけたか個人個人カウントしているのである。
Samが怒っている「Hey クリス、ここは俺のテリトリーだぞ、ここの蝿は俺に権利がある、ここの蝿に手を出すな!!」、「Ohhhh Taro NoNoNoNo、ここは俺のテーブルだ、まずは俺が仕掛ける、そこから逃げたやつを打ち落とす。それがスナイパーだ。100万%スナイパーに徹してくれなくては困るんだよな~~、しかもJapaneseスナイパーだろ」だそうである。やっぱり解らん。Japaneseスナイパーって何なんだよ? 司令官が怒鳴っている、「こらこら、みんな気を抜いてるわけじゃないだろうな?これは第3次世界大戦も同様なんだぞ!!生きるか死ぬかだ。自分のポジションは守り抜いてくれ!!」ってそんなオーバーなことでも。。。。。。
「おーい、皆、Weaponを置いて一旦休憩だ」と司令官のKenny、「Weaponって何だ?」、「こら、手に持ってる新聞紙に決まってるだろう。大事に扱わないと。唯一自分の命を守ってくれるものだろう」だそうだ。しかし、戦争なのか、これは。
一服終わった頃に司令官のKennyから、「Start Next Turn」の掛け声がかかり、又皆がばしばしばしばしやっっている。俺も休んで入られない。スナイパーである。
もう蝿は来なくなった。と言うか全滅したんだろう。
テーブルの上、テーブルの下は蝿の死骸でごったがいしている。
全員で勝利の雄叫びである。Weaponを高く持ち上げ、「We are Winner,We are Winner,We Did It,We Did It」と踊りながら叫びあってる。
Farangのパワーを垣間見た。
ちなみに平均年齢は58歳くらいである。
あの店にはもう蝿は寄りつかい。

Wan guud Charlie Brown(ワン・グウド チャーリーブラウン:チャーリーの誕生日)

Snoopyの主人公の一人Charlie Brownは一体いくつになるのだろう?
60近くになることは間違い。

以前マイミクのつきすそさんとSnoopyに関係するProjectを完成させたことがある。あの時何周年記念だったよう記憶があるだが、つきすそさんどうでしたっけ?

この村にもCharlie Brownが一人住んでいる。今日で75歳の誕生日を迎えた。先ほど誕生パーティーに行って来た。
顔は皺だらけであるが、まだまだ元気でVolkaをロックでガバガバ飲み、普段は村中を歩き回っている。彼の職業は新聞記者である。今でも BangkokPostに彼のコラム欄がある。
皆から慕われており、今日もパーティー中に彼がSpeachを始めると、おしゃべりなEngland人も口を閉じ彼の話に耳を傾けている。

決しておしゃべりではないし、ふんぞり返る性格でもない。とても質素な好感を持てる人格である。

私はCharlie Brownより25歳年下である。
偶然昨日マイミクになったStichさんも今日誕生日であった。年齢は25(26になったのかな?)Charlieより25歳年下が私である。その25歳年下がStichさんである。
私の半分の年齢、Charlieの1/3の年齢である。
未来豊かな若者に乾杯!!
そしてその若者の未来を築いてきたCharlie Brownに乾杯と言う感じである。

KheoFyu(ケーフュー:夜間外出禁止令解除)

今日の20:00前後にPattayaはCurfew(夜間外出禁止令)が解除されました。
よかった。心から、良かった。

2010年5月21日金曜日

Prachatiptai(プラチャティップタイ:民主主義)

ある在タイの欧米記者がこうコラムしていた
「タクシンはタイを民主主義国家にした、そしてタクシンはその国家を分裂させた。分裂したからこそ本当の民主主義なのだ」
振り返ってみれば、2008年末の現政府がタクシン追放をスローガンに空港を占拠した時も反政府に対してタクシン政権は武力威嚇はしたが、武力は行使しなかった。血は流れていない。
今回はどうだろう?100名もの命が失われ400名以上が負傷をしている。命を落とした政府軍は1名だけである。後はタクシン派と巻き沿いを食った一般市民と日本人やイタリア人の記者である。つまり管理し切れていない武力行使を行っているのである。キチガイに刃物の良い例である。
私の師匠でもある、PHiro氏はこう言い放った、「ミャンマやカンボジアと同じレベルに落ちたみたいね」。民主主義ではない国になったということであろう。
その通りである。
何度も繰り返して言っているようにデモが一旦終結しただけで、何もも解決していない。

民主主義国家を継続するのか、軍事政権に戻るのか。
ただ今はそれをタイ国民が選択できるポジションにまだいる。
選択の余地がある。つまり、分裂したからこそ本当の民主主義なのだ。

強く望むAll we are saying is give peace a chance

I Hope Long Live The His Majesty King Indeed And Democratic This Country

All The Best To My Kingdom Of Thailand

2010年5月20日木曜日

Mai Son Jai(マイ・ソン・ジャイ:興味無し)

文句ばかり言ってても歳をとるだけなので、今回の政治闘争についてみんなどう感じているか観察してみた。
在タイの日本人:私や知り合いは皆NewsなりInternetで逐次情報を収集している。
在日の日本人:私の友人は皆タイ好である、私たちと同じく情報収集している。
Bangkokに関係のあるFarang:危なくて仕事どころじゃない、家でのんびりしてる。
Bangkokと関係ないFarang:普段と何も変わらない。Beerを飲んでFuckingと口ずさんでいる。
自国に居るがタイと関係のあるFarang:どうなったどうなったとチャットが頻繁に入ってくる。
Bangkokに関係のあるタイ人:大変だ~~~、という感じ。
Bangkokと関係無いタイ人:Farangと同じ、全然無関心。何の情報も収集しない。ランドマークが焼け落ちたことすら知らない。能天気である。
ということで、Bangkokに関係の無い在タイFarngとBangkokと関係無いタイ人は同じ行動である。
興味無し!!!
個人主義ってこういうことなのかもしれない。
いやーー、そうじゃ無いでしょう~~
解らん~~~

Bua Buua Bua(ブア・ブーア・ブア:死ぬほど飽きた)

昨晩のCurfew(英語で夜間外出禁止令)に引き続き、今日も、明日も、明後日もCurfewが続くそうな。
後10分で外出禁止である。
仕事と終わって、やっと一息、飯食って、馴染みののBarBeerに行って友人たちとビリヤードするのが日課なのに、急いで飯食うだけで終わりである。
幼馴染で大親友のアルカスさんからもタイ政府以上の強さを持って「外出禁止」を食らってしまったので、部屋でおとなしくWebでも見るしかないのだが、そのWebも都市機能麻痺のお陰でやたら遅い。
長い間止まっていたPattayaの独り言でもまとめて書くしかないのかな?
あー、BuaBuuaBua。

What's the fucking

 CentralFestivalに映画を見に行った。残念ながらビルが17:00で閉館になってしまって入れない。2件目はAvenueの映画館に行った。ここも駄目である。閉館だ。
ここPattayaのあるChunburi県にも夜間外出禁止令が勧告され、それに伴いお店はみんな閉まってしまった。What can I do?
BangkokのランドマークでもあるCentralWorld(旧WorldTardeCenter)はタクシン派に焼き討ちにされ、大火事となり、もう直ぐビルごと倒れてしまうところである。
同じビルにある伊勢丹も焼き落ちてしまう。
私のタイの人生はこのCWの直ぐ近くにあるコンドミニアムから始まった。
そこで色々な経験を積みながら1年暮らした。
勝手に時代をもぎとられてしまったようで、非常にむしゃくしゃする。
Fuck Fuck Fuck!!!!

24:00過ぎに夜食を食べに行くため彼女とバイクに乗った。誰も歩いていない。
屋台も7-11も全部閉まってる。高台からPattayaの待ちを見下ろしても、いつものようなネオンの眩しさが無い。静まり返っている。
これって、本当に幸せなことなの?
だって、デモは強制撤去で昨日終結したんでしょう?頭が悪いよ今のの政治家は。
なんでその後に戒厳令を出すわけ?
意味不明だよ。こうなること最初から分かってるんじゃん、なんでそれを考慮して作戦立てないの?アメリカ政府なんかこの政府を完全におちょくってるジャン。

What's The Fucking!!!!!!

2010年5月19日水曜日

PaiDuuNanDeeKhwaa(パイ・ドゥ・ナン・ディー・クワー:映画見に行こうっと)

BangkokのOfficeはタイ政府の勧告で今週いっぱい閉鎖しなければならないので、Pattayaの自宅でJobである。やっと一区切りついたので映画でも見に行こうっと。
毎週水曜日は映画の日、通常120Bahtの観賞料が半額の60Bahtである。
見ない手は無い。日本円で180円くらいである。
最近見た洋画は IronMan2、Robin Hoodかな。日本はまだ未公開と思う。
デモの影響でPattayaもFarangがすっかり居なくなり、外人向けの場所にある映画館はガラガラ。
貸しきり状態で映画を見るのも悪くない。
ただしクーラーが必要以上に効いているので寒いのである。
女性は厚着を欠かせない。
今日は彼女が決める番なので、何の映画を見るかまだ分からないが、それはそれでサプライズパーティーのようで趣があって楽しい。
愚痴っぽい独り言を言わせてもらえば、何で2人の映画代が120Bahtなのに2人のコーラとポップコーンが150Bahtもするわけ?おかしいでしょう~~~。
Amazingはいつも付きまとう。

2010年5月18日火曜日

RakKhun(ラック・クン:I Love You)

私の50年の人生の中で「I Love You」は異性に対し又は家族に使う言葉と思ってきた。勝手にそう理解していた。
他の国は知らないのであるが、England人は同姓の親友に対しても I Love Youを使う。

Phillip:
 一番最初に私にI Love YouといってくれたEngland人である。
52-53歳で現役のエンジニアである。Bangkokの会社に勤めていて、週末にPattayaへ戻ってくる。エンジニアなのでとても癖のある性格をしている。
日本で言うところの「職人気質の頑固親父」である。私らの年代の親父はみんな頑固親父だったので、私は別に彼の頑固振りを見ても驚かないし、怒る事も無いのであるが、他のFarangやタイ人はそうはいかない。話し始めて30分でたいていの人は怒り始めて喧嘩となる始末である。
よって、彼の事を理解して話を聞いてあげれる人はPattayaでは彼のタイ人の妻と私ぐらいである。とても頭の良い人なので、相談に言って数こと話すだけで理解し助けられることは直ぐに助けてくれる。ただ歳のせいか、酔うと記憶を失うみたいで、乗っていった車をどこかに忘れてきてしまう有様だ。次の朝、彼の妻から電話があり、私はその車を探し、彼の家に届けるのである。
Give And Take成立である。

Kenny:
 私のDanceパートナー(パーティーで2人で倒れるまで踊り続ける)でもある彼は、特殊な技術を持った大工さんである。年齢は45歳くらいである。タイでは仕事はしておらず、年に数回Endlandに帰って仕事をして金を稼いでくる。タイ人の奥さんもいる。
残念なことに、上記Phillipとは犬猿の仲である。
骨を折って動けないときなど、夫婦で車で迎えに来て病院へ連れて行ってくれたり、食事を持ってきてくれたりする、心の温かい職人である。
大工さんだからコンピュータは苦手である。よって彼のコンピュータに問題があると私の出番である。
Give And Take成立である。

Terry:
 彼はEngland在住である、昨年末から今年の3月までここに滞在していて、毎日顔を合わせ話しているうちに大の親友となった。年齢は60近くである。
今はEndlandに帰ってしまったが、しょっちゅうChatやFaceBookで話している。
彼はもともと英国軍人で多くの人に銃弾を打ち込んできてしまったと自分で語ってくれた。そのトラウマが今でも残っていて、花火の音を聞いただけでも大砲の音に聞こえ、やりたくもない戦争に、英国政府の金とOilの為に人殺しをさせられたと悔やんでいる。
きっと一生忘れられないんだろうな。でもとても明るい、前向きな兄貴である。
England人の幼馴染の奥さんが居て、とても素敵な夫婦である。
今は、北部Englandで鶏の養殖をしていて、鶏売れたらEnglandに招待してくれるとのこと。
Not Give But Takeな状態。

Keith:
 彼は今住んでいるアパートの近くにあるBarのオナーである。EnglandでもClubを経営していて、Don't Worry About Moneyなひとである。年齢は53-4歳である。私のビリヤードの目標でもある。
以前彼のタイ人の嫁の従妹と付き合っていたことがあり、それで親しくなった。よって今でも彼の嫁のことは「姉貴」と呼んでいる。
今はその彼女とは別れてしまったが、Keithや彼の嫁とは今でも親しく付き合っていて、事ある毎に世話を焼いてくれる。
ただ最近彼と嫁は週に1回の割合で喧嘩をするが、理由は果てしなく幼稚である。
2人が喧嘩をすると姉貴からCallがあり、「Taro、むしゃくしゃするから今から遊びに行くんでBodyGurdに来て」とのことで、Pattayaの歓楽街を引き摺り廻されるのである。
Give And Take成立である。

なんの駆け引きもなく、なんでも相談でき、別れ際に抱きしめあい「I Love You」と挨拶できるPattayaの親友がこの4人のEngland人とその4人の嫁達である。

I Love You My Lovely Mates And All The Best

PenFarang(ペン・ファラン:白人になる)

このBlogの最初に、Pattayaで生きていくためにはFarangに成らなくてはいけない、と綴った。
Pattayaに移り住んで10ヶ月がたち、この村の多くのFarangと親しくなった。
又、なんでも話し合える親友と呼べるFarangも2-3名出来、お互いの能力を出し合い協力しながら生活する体制になってきた。
Farangの考え方も徐々に解ってきて、共鳴できる部分は自分もその考え方で物事判断するようになってきた。
合理的で、エンジニアの私には理解しやすい。
それでも、やはり日本人のDNAを持っているのであろう。日本人から見るとバター臭いCoolな人になったように思われるが、タイ人からはやっぱりアジア人に近い感性を持っているように見られる。タイ人的にFarangには絶対してはいけない相談事とかがあるのであるが(理解してもらえないので相談にならない)、私にはそれが回ってくる。
最近その数が増えてきている。
つまり、「Farangには理解してもらえないという事を知っている人」とタイ人は私のことを理解し始めてきたので、今の状態になってきたのであろう。
しかし、ちょっとはOKであるが、いっぱいは困る。
速く完全なFarangになって、そんな相談がこなくなる方が楽な気もするが、もしかしたらそれが私のここに住む理由なのかも知れない。
もう少し、Farangとタイ人の間に立つバター臭いアジア人Taroで居るしかない気がしている。

Sua Deen(スア・デーン:赤シャツ)

Bangkokの一部の地域では、ここ数ヶ月デモ隊が占拠し、平和維持軍とよばれる国軍と鍔迫り合いを繰り広げている。
このデモ隊は通称SuaDeen(UUD)と呼ばれ、前タクシン首相の親衛隊みたいなものである。
私設の軍隊があるようで、将軍とか名乗る人もこの中には居る。
暗殺って一体どういうこと?って感じである。
お互いに国のためと言ってはいるが、相変わらず嘘の下手な民族で、全然そんなことは考えておらず、自分達の私利私欲のために戦っているのは明白である。
Pattayaにいるあたしにゃあんまり影響が無いのであるが、OfficeはBangkokにあるため、BTS(電車)が止まることがしばしばあり、これには閉口する。
タイの国のことなので、外人のあたしにゃ何も言う権利は無いのであるが、一言だけ言わせてもらいことがある。
「お前ら、恥を知れ!!」
以上である。