2010年7月4日日曜日

Ko Khon Isaan glap khon Rusia(コ・コンイサーン・ガップ・コン・ルシア:イサーン人とロシア人だから)

 バスの通勤でBangkok往復を繰り返していて、新しいパターンを発見した。
Pattaya、<->Bangkok間の高速バスは全指定なのであるが、必ず誰かの席に別の人が座っていて、揉めている。毎回揉めている。
チケットにはちゃんと自分の座席番号が書いてあるにもかかわらず揉めている。
 他人の席に好き勝手に座っている駄目な奴は100%イサーン人かロシア人(東欧含む)である。
座席指定だと気が付かないで座っているのであれば、同情の余地は十分あるのであるが、彼らは指定先だとちゃんと知っていて、本来の自分の席もちゃんとチェックしてある。
揉めて係員が来ると、彼らはこれまた100%直ぐに自分の本来の席に直行するのである。
 ちょっと考えれば直ぐ解ることだと思う。勝手に座っても指定先なんだから、直ぐに移動させられると言うことを。
それでも勝手に座ってる。イサーン人はタイの中でも最も先を考えられない人種であることは8年位前から見抜いていたが、ロシア人もそうだとは思いもしなかった。しかし事実は事実である。
結局イサーンとロシアはあんまり先のこと考えない人種仲間ということで自分は整理した。
イーサンとロシアが同じパターンとは驚きであった。

2010年6月6日日曜日

Baa Muan Thai(バー・ムアンタイ:タイバカ)

私の周りに私を含め4人の日本人のタイバカがいる。
残念なことに私以外は3名とも日本在住である。
それでも年に何度も仕事を無理やり調整して来るわけであるから、バカと言ってよいであろう。
というか、タイバカである。
それでも、年に何度も訪タイしてくるタイ好きの日本人は多い。
じゃー、何が違うのかである。
(1)Pdai
 彼との付き合いは12年を越す、そして私のタイの歴史と彼のタイの歴史はほぼ時間的にイコールである。一緒にタイ語学校も通った。
現在彼は日本に滞在中であるが、年に何度もそれも3日間だけみたいな感じでもタイに来てしまう。彼曰く「私はタイ人を尊敬している」だそうである。ここまでもまだ同じ人はいっぱいいるであろう。
そして彼の最大のタイバカな理由は、彼の夢である。
彼はJyakayan(自転車)が大好きである。日本でも週末の2日で800Kmとか走破するのである。昨年一番暑い時期にタイに来てBangkokからチャン島まで自転車で走破している。
もちろん途中で脱水症状に陥り、死に掛けてることは言うまでもない。
しかも彼の年齢は私と同じ50である。彼はタイ人から直ぐに愛され、尊敬されるタイプである。なぜなら彼の顔も肌の色もタイ人と同じであるからである。タイ人が見ても「タイ人でしょう」と言わせるくらいである。そして、読み書きもできる。でも問題は話はあまりできない。話すと直ぐにタイ人じゃない事はばれる。そこが愛されるところである。
そして彼の夢であるが、「再度自転車でタイに降り立ち、空港からまっすぐPattayaの私の村まで直行し、村にあるBarにボロボロの体を引きずって入って行き、何も言わず真っ直ぐジングルベルに向かい、その鐘を鳴らして、その場で気を失う。」だそうである。
タイ人からは間違いなく英雄の称号を与えられるだろ。しかし実際はただのバカなのである。

(ジングルベルとは、ThaiのBarには殆どカウンターの上にジングルベルが在り、客がそれを鳴らすと、その場に居るお客さん全員と店の従業員全員に奢ると言うルールである。)

(2)Masa
 年齢は一回り以上下なのであるが、若いながらに気合を入れて集中してタイに滞在する。
目的は彼にとって完璧な天使を探すことなのであろう。明るい部と暗い部の1日2部構成でBangkok、Pattayaで集中して探し物をしている。無駄金は使わない!!と言う感じである。
私から見れば「うわー、この子天使ジャン、もうこの子でGoalなんじゃないの?」と思っても
そこで断念は決してしない。120%を目指しているのである。
ここまでもまだ同じ人はいっぱいいるであろう。
問題はここからである。彼はこれだけの鉄の精神を持ちながらも、タイ人をものすごく理解し愛していると言っても良いであろう。
私の村では彼の目的を果たすことは不可能に近いのであるが、と言うか不可能である。
でも、私の妹の居る店に一緒に来てくれて、彼も本当に兄貴になったかのように私の妹を理解しかわいがってくれるのである。そして彼にとっては無駄な時間であろうとも、私や妹の遊びに付き合ってくれるのである。私への遠慮と言うわけではなく、それで幸せも感じてくれている。
普段の行動からは予想もつかない、真の優しさと、タイ人に対する敬愛がある人物である。
その優しさのため、私の知り合いのタイ人で彼を嫌うものは一人も居ない。いや、みんな彼を愛している。でも彼は天使を探す道を外れることはない。あーー、バカである。

(3)AL(アル)
 ALとはもう15年の付き合いになる、Pdai同様ダメダメ50歳トリオの中心的存在でもある。
彼も天使を探している。大きな病気になってしまったのであるが、昨年からタイ活動を見事に復帰させている。ここまでなら沢山見たことがある。問題は家族も一緒に連れてきておきながら、夜遊びに出る。ここまでも沢山居る。しかも夜遊びに出て家族の待つホテルには戻らず、Pdaiのアパートにず~~~~っと泊り込んで、朝帰りをしているのである。そして、家族を怒らせることも無く、家族サービスをこなせている。健全な肉体であれば可能かもしれないが、まるで健全な肉体ではない。
そして、彼のもっとも特異な点は、天使を探していることは間違いないのであるが、それを自分のものにしようと言う俗物ではない、目的は1点で「天使を自分の目で見てみたい」という壮大の夢の持ち主なのである。客観的に自分が天使と思えるということは、本当の天使を見つけると言うことに他ならない。でもきっと見つかるであろう。
タイには紛れもない天使がまだ存在しているはずであるから。
たったそれだけのことなのかもしれないが、それは人生の時間を全てそれに費やしていることに等しい。でも無ければ天使は見つからないのである。
彼がタイ人から愛される理由の最大点は、なんでも平気でタイ料理を出されるがままに「美味い!!」と言ってたいらげられるところであろう。
これはすごいことだと思う。できそうで意外とできないことである。というか在り得ない。
どう考えてもバカである。バカとしか形容できる言葉を私は知らない。

バー・ムアンタイと題したが、タイ的にはキー・ムアンタイの方が正解であろう。
自称タイバカは沢山居るし、タイ人の友達を持っている人も沢山居る。
私のタイバカの定義は一つである。「タイ人に愛されている」ここに尽きる。

2010年5月30日日曜日

NaamJai(ナームジャイ:人情)

Pattayaへ越してきて約1年になる。
SeaSideのPattayaと私の居るMountainSideのPattaya(EastPattaya)では同じFarangでも明らかに人種(Life Style)が違う。
南北に突き抜ける国道のSukhunvitを挟んで、東にあるEastPattayaに住んでいる人は、EastPattaya内での引越しはするが、Sukhumvitを超えての引越しは絶対に有り得ない。SeaSideのPattayaは1~3ヶ月の短期滞在者がリゾート気分で住んでいるので、タイに居る理由の温度が違うためだ。
ここEastPattayaの住民は、みんであれこれ協力し合って生きている。
昔の日本の「隣組」みたいな感じかもしれない。
私も運命共同体ということで、2つの隣組に参加している。
ここ数ヶ月は本当に色々お世話になった。
日本の親戚づきあいは、ここの運命共同体の協力体制から見たら、他人に等しい。
何でかな?と色々考えてみた。
でも分からない。
ある日運命共同体のなかで一番中の良いPhilipの妻のNutが

「貧乏という言葉はお金に関すことだけじゃない、人情に対しても貧乏かどうかという考え方も私にはあると思っている。
私はお金に貧乏になっても、人情は絶対に貧乏にならないから。」
Taa Pen Jon Sataan Tae Yangai Ko Mai Pen Jon Naam Jai
と話してくれた。

この言葉で、色んなことがクリアになった。
なんで自分がタイに居るかの最大の理由でもある。

私はこのNutのことを16歳も年下であるがMae(お母さん)と呼んでいる。
色んなことを教えてきてくれたからである。
又一つ人生で大事な言葉をいただいた。
50にしてまだまだ学ぶことは多いようだ。

I Love You Mae Nut.

2010年5月22日土曜日

MarenWaan(マレン・ワーン:蝿)

Charlieの誕生会は後半から趣向が変わってしまった。
England人10人日本人私一人と言う構成の誕生会であった。
やたらに蝿がテーブルにたかってきて、うっとうしくてビールも飲めない状況になってしまったためだ。
お約束どおり、短気なEngland人は怒り出し、全員が新聞紙を丸めてハエ叩きを手にした。
テーブルで羽を休める蝿を手当り次第たたき始めた。次から次へとテーブルの上には蝿の死骸が積もり始めた。
気がつくとみんな夢中で、子供のようにハエ叩きをしている。
そのうち勝手にKennyが司令官となって、皆に作戦の指示をしている。
「Hey Taroお前はJapaneseスナイパーだ、Samがはずして逃げる蝿を叩き落せ。」だそうだ。そのJapaneseスナイパーって一体何なんだ?
またまた気がつくとみんなハエを叩き落した後、数をカウントアップしている。何匹やっつけたか個人個人カウントしているのである。
Samが怒っている「Hey クリス、ここは俺のテリトリーだぞ、ここの蝿は俺に権利がある、ここの蝿に手を出すな!!」、「Ohhhh Taro NoNoNoNo、ここは俺のテーブルだ、まずは俺が仕掛ける、そこから逃げたやつを打ち落とす。それがスナイパーだ。100万%スナイパーに徹してくれなくては困るんだよな~~、しかもJapaneseスナイパーだろ」だそうである。やっぱり解らん。Japaneseスナイパーって何なんだよ? 司令官が怒鳴っている、「こらこら、みんな気を抜いてるわけじゃないだろうな?これは第3次世界大戦も同様なんだぞ!!生きるか死ぬかだ。自分のポジションは守り抜いてくれ!!」ってそんなオーバーなことでも。。。。。。
「おーい、皆、Weaponを置いて一旦休憩だ」と司令官のKenny、「Weaponって何だ?」、「こら、手に持ってる新聞紙に決まってるだろう。大事に扱わないと。唯一自分の命を守ってくれるものだろう」だそうだ。しかし、戦争なのか、これは。
一服終わった頃に司令官のKennyから、「Start Next Turn」の掛け声がかかり、又皆がばしばしばしばしやっっている。俺も休んで入られない。スナイパーである。
もう蝿は来なくなった。と言うか全滅したんだろう。
テーブルの上、テーブルの下は蝿の死骸でごったがいしている。
全員で勝利の雄叫びである。Weaponを高く持ち上げ、「We are Winner,We are Winner,We Did It,We Did It」と踊りながら叫びあってる。
Farangのパワーを垣間見た。
ちなみに平均年齢は58歳くらいである。
あの店にはもう蝿は寄りつかい。

Wan guud Charlie Brown(ワン・グウド チャーリーブラウン:チャーリーの誕生日)

Snoopyの主人公の一人Charlie Brownは一体いくつになるのだろう?
60近くになることは間違い。

以前マイミクのつきすそさんとSnoopyに関係するProjectを完成させたことがある。あの時何周年記念だったよう記憶があるだが、つきすそさんどうでしたっけ?

この村にもCharlie Brownが一人住んでいる。今日で75歳の誕生日を迎えた。先ほど誕生パーティーに行って来た。
顔は皺だらけであるが、まだまだ元気でVolkaをロックでガバガバ飲み、普段は村中を歩き回っている。彼の職業は新聞記者である。今でも BangkokPostに彼のコラム欄がある。
皆から慕われており、今日もパーティー中に彼がSpeachを始めると、おしゃべりなEngland人も口を閉じ彼の話に耳を傾けている。

決しておしゃべりではないし、ふんぞり返る性格でもない。とても質素な好感を持てる人格である。

私はCharlie Brownより25歳年下である。
偶然昨日マイミクになったStichさんも今日誕生日であった。年齢は25(26になったのかな?)Charlieより25歳年下が私である。その25歳年下がStichさんである。
私の半分の年齢、Charlieの1/3の年齢である。
未来豊かな若者に乾杯!!
そしてその若者の未来を築いてきたCharlie Brownに乾杯と言う感じである。

KheoFyu(ケーフュー:夜間外出禁止令解除)

今日の20:00前後にPattayaはCurfew(夜間外出禁止令)が解除されました。
よかった。心から、良かった。

2010年5月21日金曜日

Prachatiptai(プラチャティップタイ:民主主義)

ある在タイの欧米記者がこうコラムしていた
「タクシンはタイを民主主義国家にした、そしてタクシンはその国家を分裂させた。分裂したからこそ本当の民主主義なのだ」
振り返ってみれば、2008年末の現政府がタクシン追放をスローガンに空港を占拠した時も反政府に対してタクシン政権は武力威嚇はしたが、武力は行使しなかった。血は流れていない。
今回はどうだろう?100名もの命が失われ400名以上が負傷をしている。命を落とした政府軍は1名だけである。後はタクシン派と巻き沿いを食った一般市民と日本人やイタリア人の記者である。つまり管理し切れていない武力行使を行っているのである。キチガイに刃物の良い例である。
私の師匠でもある、PHiro氏はこう言い放った、「ミャンマやカンボジアと同じレベルに落ちたみたいね」。民主主義ではない国になったということであろう。
その通りである。
何度も繰り返して言っているようにデモが一旦終結しただけで、何もも解決していない。

民主主義国家を継続するのか、軍事政権に戻るのか。
ただ今はそれをタイ国民が選択できるポジションにまだいる。
選択の余地がある。つまり、分裂したからこそ本当の民主主義なのだ。

強く望むAll we are saying is give peace a chance

I Hope Long Live The His Majesty King Indeed And Democratic This Country

All The Best To My Kingdom Of Thailand